だって女子だもん「俺の飯は?」問題から考える、男女の伝わっている『はず』のすれ違いとPDCA
こんにちは、あやにーです。
今日Twitterで回ってきた、このツイート。
妻が寝込んでいる時の夫の「俺の飯は?」問題がTL上で流れているが、私が実際に当人(夫側)から聞いたことがあるエピソードは、妻のお父さんが亡くなって妻が急いで帰省するときの「俺の飯は?」問題である。著名な研究者だがそれ以後その人のことを信用していない。
— 本田由紀 (@hahaguma) 2017年3月28日
この問題って何度もTwitter上でもディスカッションされて
「マジ空気読めよ、旦那」という話をさんざん観てきた気がします。
確かにいささか、旦那さんの配慮足らなくない?とかTwitterでしか言えない愚痴をこぼしているのだという意見もあり、真向から対立するような話ではないと思うのですが
こうした男女の「気持ちわからない」問題を受けて、思うことがあります。
どうして人は家族になった瞬間他人であることを忘れてしまうのか。ということ。
なぜパートナーは自分の体調を気遣ってくれないのか
きっとここで女性の方は「なぜ私の体調が悪いことを気遣ってくれないのか」という点で、フラストレーションになっているというのが一番だと思います。
いつもこんなに尽くしてるのに。体調悪いときまでお前の飯の心配かよ。と。
ではここでなぜパートナーは自分の体調を気遣ってくれないのでしょうか。
一部では「男尊女卑の考え方で台所には男が立つべきではないと育っているから」という意見もありました。そういう理由も確かに一理ある気がします。
愛情がないから?それとも毎日一緒にいるから当たり前になっているから?
どの理由も当たっている気がします。
でも私は思うんですよね。
たぶん食事の準備をしたことが本当にないのだとしたら「食事を作ることがどれだけ自分の負担になっているのか」と知らないのではないか。
そして多分食事の準備を日々している方も「食事を作るって、これだけの労力が必要なの」と伝えることをしたことがないのではないでしょうか。
人間は経験から想像します。経験がないことは想像ができないんです。
私の仕事、あなたの仕事。自身の中である程度の「決まり事」を作ってしまって、『食事の準備が大変なのはわかっているはず』『体調が悪いから作れないのもわかっているはず』そんな期待を相手にしてしまっている。
それは果たして相手が100%悪いのでしょうか。
そもそも『はず』がトラブルの元になる
仕事でもなんでもそうですが「出来ている『はず』」「わかっている『はず』」というのは、トラブルの元です。
だって自分じゃないもん。相手。
どんなに毎日一緒にいて、どんなに愛していても、許していても、パートナーは自分ではない。甘えもあれば、怠慢もあるでしょう。
でも、その『はず』が引き起こすトラブルは意外と多くて、なぜかみんな「言わないでおくことが美学」とか「わざわざそんなこと言わないと分からないの?」とか。
言えば、トラブル回避できるかもしれない。分かってもらえるかもしれない。
それを自らの見解で「たぶん」「おおよそ」で『はず』と理解するというのはいささか強引だと思うんです。
仕事だけでなく、家族、カップル、友達間でもこの『はず』が生む歪やすれ違いって少なくないと思うんですよね。そしてそれに対して「キ―――!なんでわかってくれないの!!!!!死ね!!!」となるストレスに育っていく。
気持ちはわからなくもない。でもそれって自分は回避する努力をしたのか、と私は思うんです。体調が悪いことを伝えるだけじゃなくて「ごはん作れません」「なんか買ってきて」というような、回避をしたのかどうか。
もしくは相手が「俺の飯は?」というようになる前に、どんな対策をしたのか。
家族間、パートナー間になったとたんに、みんな「回避」したり「対策」することを怠る。これは男女どちらにも言えることだと思うのです。
言わなきゃわからんぞ。自分じゃないんだから。経験ないんだから。
日本の家族はもっと「PDCA」回すべき
私はこうしたカップルや家族の問題を聞くたびに「もっとPDCAサイクル回す努力をしたほうが絶対に楽」だと提唱しています。
PDCAとは
事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。 Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する。
BY ウィキペディア
特に女性脳は昔村を守りながら子育てもしなくてはいけないという中で「共感」や「コミュニケーション能力」が高いので体調が悪ければ「私を気遣ってくれ」と思う生き物なのです。もうそればかりは『今私は女性脳で判断しているのだ』と思ってもらうしかないです。
でも、それをPDCAサイクルに載せて考えてみると
P(プラン):体調が悪い。家事は休もう。パートナーの御飯を作るのは無理。察してくれ
おいおいおい、Pで終わっちゃうよ。円滑にする方法を考えようよ、となるわけで。
私の場合は
P:体調が悪い、寝る以外のことは出来ないなあ。これはパートナーを頼ろう。
D:パートナーに連絡。「体調が悪いので何か買ってきてほしい。もしくは食べてきてもいいよ」
C:パートナーがどう出るかで評価
A(改善)は発生しないかもしれませんが、買ってきたものが「麻婆豆腐丼」とかだったら、次回は具体的に頼もう、とか
何も買ってこない、食べてもこない、家に帰って「俺の飯は?」と言って来たら
Aの改善を自分なりに考えてみる必要があります。
イライラする、許せない、なんなの。感情で済ませてしまうのは本当にもったいないと思いませんか?
せっかく付き合っているんだし、結婚しているんだし「どうしたらお互いがストレスたまることなく、うまく生活サイクルを回せるのか」考えてみる必要だって、あると思います。
とにかくPDCAサイクルをまずは回してみるといいと思う。大抵の問題はそれでうまくいくような気がします。だって何億、何兆と売りあげている会社は大きな家族みたいなもので。それがうまくいくのに、たった数名の家族でうまくいかないとかあり得なくない?
過信しすぎず、意見交換をするところから。
PDCAサイクルは回せるかどうかは、たぶん癖になるかどうかだと思います。
「家族は会社じゃなんだよ。」という方も多いと思うのですが、そういう方もPDCAまではいかなくともA(改善)のために意見交換してみませんか?
マジで不毛なストレスを避けられるのは自分だけです。
これだけは絶対です。他人はあなたのストレスを回避なんてしてくれません。甘ったれるな。
いいことも悪いことも全部自分の言葉で伝えられるようになることで、物事の改善や計画がうまくいき、上手に物事を進めることができるようになると思います。
家族だと思って過信してはいけない。
あなたが家族という社会を回していける、唯一の人かもしれないから。
相手が理解してくれないことを悩んだり、理解しない人を批判する前 Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返してみませんか。